オウム報道と「A」

30年程前ですが、漫画雑誌「ビッグコミックオリジナル」に連載されていた、漫画『家栽の人』が好きでよく読んでいました。主人公は家庭裁判所裁判官の「桑田義雄」。少年犯罪をどう裁くかが主なテーマの漫画です。後に片岡鶴太郎さん主演でドラマにもなりました。

『家栽の人』 作:毛利甚八 画:魚戸おさむ

コミック3巻の中で、少年犯罪の実名報道をテーマにした話がありました。登場人物のひとりである週刊誌の記者が、殺人などの悪質な犯罪の場合は少年犯罪であっても実名報道するべきだと、主人公の桑田判事に話します。それに対して桑田判事は、少年犯罪だけでなく大人であっても実名報道には反対であると、いくつかの理由を挙げました。

その理由のひとつが、被疑者(容疑者)の段階では冤罪(えんざい)の可能性があるということでした。「もし冤罪とわかったら、マスコミはどうします?あわてて警察や検察庁を批判しても、取り返しがつかないんですよ・・・」と桑田判事は記者に語ります。

私はこの話を読んで、容疑者の段階での冤罪の可能性は確かにありうることだと、改めて気付かされました。

この「家栽の人」を読んで数年経った後に「松本サリン事件」が発生しました。松本サリン事件では、のちにオウム真理教の犯行だとわかるまで、第一通報者で被害者でもある河野義行さんが、重要参考人とされながらも公然と警察やマスコミから犯人扱いされていました。

当時私は、「河野さんの家からは、まだ薬品は見つかっていません」と連日放送されるワイドショーを見ながら、「もしかしたら、この人、犯人じゃないかもしれんね」と一緒に見ていた友人と話していたのを覚えています。

これは私に物事を見る能力があったからではなく、間違いなく「家栽の人」を読んだ影響です。このことは、今でも私のニュースの見方のベースになっていて、普段から「もしかしたら、ちょっとニュアンスが違うかも」と思いながら、テレビや雑誌記事を見ることが多いです。


数年前ですが、ドキュメンタリー作家の森達也さんがオウム真理教を内部から取材し撮影した映画「A」と、その「A」の撮影状況などを綴った書籍「A マスコミが報道しなかったオウムの素顔」を観ました。

映画『A』
監督:森達也 出演:荒木浩
上映時間:135分 公開:1998年

当時のオウム真理教、広報副部長であった荒木浩を中心に撮影された、ドキュメンタリー映画。

この映画では、公安警察の一人が自ら転びながらも、公務執行妨害だとしてオウム真理教の山本康晴を不当逮捕する状況が映されています。

ベルリン映画祭など、多くの外国映画祭でも上映されました。


『A マスコミが報道しなかったオウムの素顔』
著者:森達也  角川文庫

映画「A」の撮影状況から上映に至るまで、そして、その後の状況などを詳細に綴っています。

ドキュメンタリー作品「A」は、地下鉄サリン事件後のオウム報道に違和感を感じた森達也さんが、当時のオウム真理教広報副部長の荒木浩さんを密着取材し、映画化したものです。本作品の中では、オウム真理教を弁護するわけでなく、あくまでも中立的な立場をとろうしている森達也さんの苦悩する様子も描かれています。

また本の方では、当初放送予定していた製作会社から契約解除を受けるなど、当時のオウム報道の難しさに直面した様子がよくわかります。

公安警察による不当逮捕や、別の取材クルーのオウム真理教に対する横柄な態度など、取材を通して見えてくるのはオウムの異常さだけでなく、オウムを取り巻く人たちの異常さでした。

映画「A」には続編「A2」もあり、「A2」ではオウム真理教と対立する周辺住民も取材されています。作品には、激しい対立や反対決起集会の様子だけでなく、施設周辺の住民と、オウム信者が気さくに笑いながら会話する姿なども映されています。


映画「A」観て感じたのは、一次情報(事件を直接見る)と、二次情報(テレビやネットニュースなど、又聞きの情報。)のギャップの大きさです。

ワイドショーやネットニュースでは事件を扱う場合、「容疑者」としながらも「生い立ち」や「家族の状況」、「近所の評判」などを当たり前のように流しています。そしてそれを見た私達は、「なんだ、コイツは子供の頃はいい子だったんじゃないか」と、簡単に情報を鵜呑みにして当たり前のように犯人扱いしています。

冤罪や間違った認識をしないためにも、情報を得るときには注意が必要です。映画「A」はこういった注意を再認識させてくれる作品です。

自分の子どもには、ニュースを出す側のテレビや出版社などは簡単に変えられないので、受け手である自分の方が、情報の扱い方に注意しなければならないと教えようと思っています。


#森達也 #オウム真理教 #家栽の人  

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