世間や社会からはずれていても、魅力的に思える人がいます。「男はつらいよ」の寅さんのように、ちょっと微笑ましく思える人から、時には犯罪者まで。パチプロの田山幸憲さんはそんな魅力的な人の中の1人でした。週刊誌などの田山さんの紹介記事では、よく「日本で一番愛されたパチプロ」と紹介されていました。
『パチプロ日記X』著者:田山幸憲
「パチプロ日記」は、パチンコ雑誌「パチンコ必勝ガイド」に掲載されていた人気記事のひとつで、後に単行本化(全10巻)されました。私もたまたま手にした「パチンコ必勝ガイド」を読んで、「パチプロ日記」のファンになりました。他にもいくつか田山さんの著作がありますが、ほとんどが廃刊になっています。(パチプロ日記は電子書籍化されています。)
田山幸憲さんは、東大中退の経歴を持つパチプロです。自由に生きたいとの思いから東大中退後にパチプロになりました。しかし、日頃から「パチプロになんてなるもんじゃない。」と語り、お金に執着がなく、「その日の酒が飲めて千円あまればいい」と言うほどの、パチプロのイメージとは程遠い、質素な生活を送っていたそうです。
そんな田山さんが書く「パチプロ日記」は、パチンコの面白さや楽しさ、爽快さだけでなく、侘しさ、寂しさなども書かれており、パチンコを打っている状況はもちろん、朝パチンコ店に通う道中で感じた季節の移り変わりなど、味のある文章で綴られた日記です。
日記を読んだ田山ファンが、実際に田山さんの通う店に会いに行き、その日の夕方から一緒に酒を飲んだりする場合もありました。
田山幸憲さんのパチンコのスタイルは、「釘読み」と「パターン認識」。日記初期の頃は、いわゆる「羽根物」のパチンコが中心でした。「釘読み」のポイントは並んだ台の釘を比較する「横の比較」と前日の釘の状態と比較する「縦の比較」。特に「縦の比較」が重要で、十数台の前日の釘も覚えていました。「パターン認識」とは、台ごとの出玉のパターン(1500玉出るとハマるなど)や勝負の流れ(パターン)を覚えていて活用することです。日記中期ごろから、「デジパチ」も多く打つようになりますが、「釘読み」と「パターン認識」は変わりませんでした。
「パチプロ日記」が書かれていた1990年代は、パチンコ攻略集団「梁山泊」が話題になり、テレビや週刊誌などでもよく取り上げられました。
オカルト的な攻略法が雑誌に溢れ、パチンコ店では連チャン機が登場して、ホールは鉄火場のようになることもあった時代です。
そんな中、「釘読み」と「パターン認識」を駆使して「羽根物」や確変機能のないノーマルなデジパチを打って凌(しの)いでいた田山幸憲さんは、がめつさのない異色のパチプロでした。
田山幸憲さんは、残念ながら2001年7月4日に54歳でこの世を去りました。
「釘読み」 パチンコ台には、ブッコミ、ヨリ釘、ヨロイ、ハカマ、オトシ、ヘソ等、ポイントとなる釘がいくつかあり、その釘の開き具合、上下の傾き具合などを見て、台の良し悪しを見極めます。昔パチンコ店は出玉の調整を釘のアケ締めで行っていました。しかし現在では釘の配列そのものが変わっていたり、日によって、釘のアケ締めを行う店がほとんど無くなってきました。
「羽根物」 ほとんどの機種が盤中央に役物があり、ある特定の場所(スタートチャッカー)に玉が入ると、役物の羽根が開きます。その際にうまく役物内に玉が入り、Vチャッカーに玉が入ると大当たり。台によって、まちまちですが1回の当たりで600~1500玉の出玉があります。
「梁山泊」 パチンコ攻略集団。デジパチの大当たりにはプログラム上、一定の周期があり、体感機(一定の周期で振動する、低周波マッサージ機のようなもの)を密かに身に着け大当たりの周期で球を打つことで、大当たりを狙っていた。実際にこの攻略法の威力は凄く、梁山泊がテレビ出演した際に、実際に20連チャンもの当たりを引いていました。
のちに、多くの「梁山泊」を名乗る詐欺まがいの攻略法が雑誌などで販売されていたが、本家パチンコ攻略集団の「梁山泊」とは関係がないそうです。
単行本、Kindle版「パチプロ日記」
漫画版「パチプロ日記」 単行本とは少し内容が違います。田山幸憲さん以外のパチプロも多く出ています。パチンコを知らない方はこちらがオススメです。
私はこのブログを、今2歳になる娘が大きくなった時に読んでほしくて書いています。今回の記事は「パチプロ日記」について書いてますが、「パチンコはおもしろいぞ」とか「人生には、ギャンブルが必要な時もある」とか言いたいわけではありません。冒頭で書いたように、世間から外れた人や社会からはみ出した人でも魅力的な人がいることを知ってほしくてこの記事を書きました。
ほとんどの店が釘をいじらなくなった現在、私はパチンコを打たなくなりました。