歌人、穂村弘

私はよく旅行の際に、まだ手をつけていない文庫本を持って行き、飛行機での移動時間や、待ち時間などを利用して読むことが多いです。前回の記事の和歌山旅行の時には、穂村弘さんの『はじめての短歌』を持って行きました。


『はじめての短歌』 著者:穂村弘

普段から短歌や俳句を詠んだりすることは無いし、これから始めようという事も考えていませんでしたが、書店で本書を見かけたときに、読みたくなって興味が湧きました。またテレビで穂村弘さんが出演されていたときに「短歌に新風を吹き込んだ」と紹介されていたのを思い出し、きっとすごい歌人なんだろうと思い購入しました。(恥ずかしながら、穂村弘さんがすごい歌人であることも知りませんでした。)

本書はタイトルの通り短歌入門書。「どんな短歌がいい短歌なのか」この問題をわかりやすく、解説しています。

本書の中で穂村弘さんは、世の中は二重性になっており、その二重性を「生きのびる」と「生きる」で説明しています。「生きのびる」とは、効率的で万人に通用するビジネス社会のような事。これに対し「生きる」は、個人的な事で一人ひとり違います。

「生きのび」ないと、「生きる」ことはできないが、「生きのびる」ために「生きる」わけじゃないと言い、たとえ万人に共感されなくても、「生きる」をあつかっているもの(個人的なもの)が「いい短歌」としています。


本書では、いくつか例文の短歌を載せて解説しています。

その一例です(本書P12)。作者は平岡あみさん。

空き巣でも入ったのかと思うほど私の部屋はそういう状態
ー平岡あみ

空き巣でも入ったのかと思うほど私の部屋は散らかっている
ー改悪例  

文末の「そういう状態」を「散らかっている」に変えています。具体的に部屋の状況がわかるのは「散らかっている」です。ビジネス文書では、ほとんどの人が理解できる「散らかっている」が正解ですが、短歌ではそうではないそうです。

「そういう状態」と言われ、一瞬、どういう状態かを想像したり、意識や感情が動いたりするものがいい短歌なのだそうです。

上記にあるように例文で説明する場合、「添削」ではなく「改悪例」で説明しています。「添削」とは元の短歌を良くなるように直すこと。本書では、元の短歌を少し悪く、というより普通の書き方にして、その短歌の良さをわかりやすく説明しています。

内容が面白く、旅行の間に一気に読みました。


『短歌と俳句の伍十番勝負』著者 穂村弘 堀本裕樹

『はじめての短歌』が面白かったので、穂村弘さんの歌集が読みたくなって、旅行の帰りに自宅近所の本屋に寄りました。穂村弘さんの短歌が載った本は本書しかなく、とりあえず的な感じでか買ったのですが、この本も面白く、またまた一気に読んでしまいました。

内容は、荒木経惟、又吉直樹、谷川俊太郎・・・など、作家や芸人、タレントから編集者、書店員などいろいろなジャンルの50人が出したお題に対して、歌人の穂村弘さんと俳人の堀本裕樹さんが、短歌と俳句でこたえます。また、それぞれの短歌と俳句を本人が解説。巻末にはふたりの対談や、公開勝負も収録しています。解説は壇蜜さん。


余談ですが、俳人の堀本裕樹さんは本書で初めて知ったのですが、和歌山出身で本書でも和歌山についての話がいくつか書かれていました。和歌山旅行の帰りに買ったので少し嬉しかったです。こういう偶然って結構ありますね。

どこか旅行に行った後や、何か新しい事を知った後に、やたら関連した情報が入ってくることがあります。(TV番組、CM、ラジオ、本など)ただの偶然と思いますが、私はいつも自分のアンテナがバージョンアップしたと考えてます。実際には、以前から流れていた情報を拾っていなかっただけで、それが自然とキャッチするようになったのだと思っています。


#穂村弘 #堀本裕樹 #短歌 #俳句

タイトルとURLをコピーしました